働く仲間たち
STAFF
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小笠原 夏子
(看護師・保健師)
看護師となり、最初の6年の勤務先は高度救命救急センターという重症熱傷や中毒、外傷の救急医療の拠点となる現場でした。自身の家族の死をも経験のなかったその頃に、そこで目にした患者さんたちの最期は、元の姿がわからないような、とても過酷で、壮絶なものでした。当時の救命センターは、中毒の医療拠点でもあったので、自殺企図で運ばれてくる方もおられれば、脳卒中集中医療も併設されており、外因性内因性の疾患が多種多様にありました。集中医療における家族援助という学会班に所属して、患者を支える家族の支援を手がけるうちに家族関係や、一人一人の日常が最期の時に結びついていると考えるようになり、在宅看護に向けて、働く場所を地域医療の場に変えました。
「あなたらしくて、まあいいっか!」と言ってあげたかった、「十分頑張ってる、まあいいっか!」と思わせてあげたかった。
後に勤めたのは入院病床が60床ほどの地域の病院でした。科によって入院病棟が決められずに、混合病棟として急性期慢性期、看取りの方と様々な疾患の方がおられました。看護師も走り回り、患者さんも看護師に気遣い、双方が葛藤する現場でした。死期がわかっているのに治療制限を強いられる患者さん、長年介護されてきたご家族、もっと関わってあげたかったと悔やむ看護師、どうしようもない現実の中でみなが精一杯でした。無理難題を言う患者さんに「あなたらしくて、まあいいっか!」と言ってあげたかった、自分を責め続けるご家族に「十分頑張ってる、まあいいっか!」と思わせてあげたかった、その頃から訪問看護ステーションまいかの「まあいいっか!」が産声をあげていました。
そんな中、母の運営している認知症対応型グループホームで、看取りのお手伝いをさせてもらったことがありました。その時の看取りの経験は今でも忘れられません。その方にとって、ホームは何年も生活してきた住み慣れた家、認知症の奥様とご夫婦で入居されていました。お子さんがおられないお二人には姪御さんがおられ、末期の肺癌であったその方の最期は病院ではなくホームでと決めておられました。もう食事はしない、と口元に運んだものを食べなくなったのもご本人の意思のようでした、ほとんどベッドの上ですやすやと横になって過ごされ、旅立たれる前日までなんとかトイレには歩いて行かれました。時々奥様が車いすで部屋を訪れ、話しかけられたり、日課の体操の音楽が聞こえたり、近所の高校の吹奏楽部の演奏が聞こえたり、お料理のいい香り、まな板の音、日常のいろんな音や匂いを存分に味わっているような日々で、雲一つない澄んだ青空の日に、眠ったまま旅立たれました。澄男さんというおじいさんでした。
「生きることも死に逝くことも、生活の中にある自然なこと」そう教えてくださった・・・〜 訪問看護ステーションまいか誕生 〜
「生きることも死に逝くことも、生活の中にある自然なこと」
そう教えてくださった・・・
〜 訪問看護ステーションまいか誕生 〜
病院ではなく、暮らしの中での最期を見せていただいたのは、このときが初めてです。「生きることも死に逝くことも、生活の中にある自然なこと」そう教えてくださったような最期でした。そして、そんな最期を迎えられるような看護がしたい、そう願い、病院勤務の時に「まあいいっかって言ってあげたいね」と話していた友人に声をかけて、訪問看護テーションまいかは誕生しました。
山下 梨恵
(看護師)
私は両親、祖父母、三姉妹の7人家族の長女として育ち、共働きの両親に変わり祖父母が私たちの面倒を見てくれていました。おばあちゃん子だった私は近所のおばちゃんとも仲良しで、一緒におしゃべりするのが大好きでした。
そんな環境で過ごしたこともあり、高校生になって進路を決めるとき私を見守ってくれている祖父母達のような高齢者の方々と関われる仕事をしたいと思い、一生の職業にできる看護師の道を選びました。
おばあちゃん子だった私。祖父母達のような高齢者の方々と関われる仕事をしたい・・・一生の職業にできる看護師の道を☆
循環器病棟や、内科病棟で10年間勤務し、結婚を気に退職、その後就職した病院で小笠原さんと出会いました。病棟での勤務が長くなるにつれて、なにか満足できないモヤモヤとした気持ちが大きくなり、看護師としてこのままでいいのか??と考えていた矢先、小笠原さんから訪問看護の立ち上げメンバーにならないかと誘いがあり、このチャンスを生かしたいと思い喜んで引き受けました。
人生を少し覗かせていただいているような、濃密な関わりができるのは訪問看護ならでは☆どんどん魅了されていきました。
人生を少し覗かせていただいているような、濃密な関わりができるのは訪問看護ならでは☆どんどん魅了されていきました。
それまでは、訪問看護師になることは全く想定していませんでしたが、いざ始めてみると利用者さん一人一人に集中して時間を使うことがとても嬉しく、ご本人や、ご家族から色々な話を聞かせていただき、その方の人生を少し覗かせていただいているようなそんな濃密な関わりができるのは訪問看護ならではだと思い、どんどん魅了されていきました。また、今まで培ってきた知識や技術など病棟ナースでの経験を生かすことができることも喜びの1つです。
一生の職業にできる看護師の道を☆
循環器病棟や、内科病棟で10年間勤務し、結婚を気に退職、その後就職した病院で小笠原さんと出会いました。病棟での勤務が長くなるにつれて、なにか満足できないモヤモヤとした気持ちが大きくなり、看護師としてこのままでいいのか??と考えていた矢先、小笠原さんから訪問看護の立ち上げメンバーにならないかと誘いがあり、このチャンスを生かしたいと思い喜んで引き受けました。
人生を少し覗かせていただいているような、濃密な関わりができるのは訪問看護ならでは☆どんどん魅了されていきました。
人生を少し覗かせていただいているような、濃密な関わりができるのは訪問看護ならでは☆どんどん魅了されていきました。
それまでは、訪問看護師になることは全く想定していませんでしたが、いざ始めてみると利用者さん一人一人に集中して時間を使うことがとても嬉しく、ご本人や、ご家族から色々な話を聞かせていただき、その方の人生を少し覗かせていただいているようなそんな濃密な関わりができるのは訪問看護ならではだと思い、どんどん魅了されていきました。また、今まで培ってきた知識や技術など病棟ナースでの経験を生かすことができることも喜びの1つです。
どんどん魅了されていきました。
人生を少し覗かせていただいているような、濃密な関わりができるのは訪問看護ならでは☆どんどん魅了されていきました。
それまでは、訪問看護師になることは全く想定していませんでしたが、いざ始めてみると利用者さん一人一人に集中して時間を使うことがとても嬉しく、ご本人や、ご家族から色々な話を聞かせていただき、その方の人生を少し覗かせていただいているようなそんな濃密な関わりができるのは訪問看護ならではだと思い、どんどん魅了されていきました。また、今まで培ってきた知識や技術など病棟ナースでの経験を生かすことができることも喜びの1つです。
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